”「なま」者”について



 典型的な Java屋 は JSP を使うことに何の疑問も持っていない
 これはJava業界に限らずどんな世界でも同じで、大多数の技術者は「Aには甲を適用」「Bには乙を適用」を暗記し、処理できることが技術者であると思っているし、それでいいのだと思う。(それすら出来ないヤツは明らかに勉強不足の失格技術者だが。)
 いや、あまり良くは無いのだが、それが”たくさんの人間が身につけなければならない技術”であればある程、そういう人間が増えてしまうのは理の当然と言わざるを得ない。
 なぜなら、常に現状に不満と疑問を見出し、解決策を模索するのは大変なエネルギー(情熱・時間・お金)が要る。だから一握りの人間しか出来ないのだ。普通の人間は仕事が終われば酒を飲みテレビで野球観戦をするか、別の趣味に精を出す。
 多くの場合、技術者が既存技術への不満や展望を語る時、それは他人や雑誌から得た情報をオウム返しに発声しているだけだったりする。(科学の世界だってそうだ。新しい概念や疑問は一握りの天才が次々と発したものの一つであることが多い。「天才が一人いると十人が仕事を失う」と言われる。)
 上記の紹介記事へのコメントにもあるように

tam
電気屋さんで働いている人が全員家電が好きではないように、
皆が皆技術に興味を持ってプログラムをやっているわけではない

 のだから。


 余談だが、私はこういう、”言葉で覚えただけの技術を駆使する”状態を「なま」状態と呼ぶ。生兵法(なまひょうほう)の「生(なま)」だ。(もっとマニアックに「疎(おろ)か」状態と呼ぼうかと思ったが自重。)「Aには甲を適用」することに何の疑問を持たないどころか、明らかに損失が出るのにこれを適用して、「損が出るのは他に原因があるのだ」と言って譲らない。こういう人がプロジェクトリーダーだと困る。テコでも動かないから。


 話を戻すと、
 紹介記事に出ていたような、Sunの社員がJavaの他の技術を知らないというのは明らかにコマッタ状態で、さすがにSunの社員だったら「なま」技術者じゃいけないだろうと思う。
 好意的に想像すると、もしかしてその社員は、大企業に良くある業務の細分化のせいで自社の他の部門の仕事を全く知らなくても上司からOKをもらえちゃう、という環境なのかもしれない。だとしても許されるものではないが。
 なにしろ多くの「なま」技術者は権威であるSunの言葉に盲従しちゃうんだから。